子供の頃、我が家では方言を禁じられていた。都会に出た時困る。が両親の主張。当時学校の先生も方言だったのでラジオや文学全集が教科書。読み終えると感想を親に話すのが習慣になっていた。
お陰で私達姉妹は作文コンクールでいつも特別な賞を頂いた。地元の高校を出て大学の寮に入り、東北や九州からの同級生の言葉に驚き、面白いと感じた。
染の学校を卒業後、親に工房を建ててもらい、制作に励んでいたある日、両親が農作業から帰り風呂で汗を流した後
「あぁ、腹が減った。飯じゃ」と父が言った。
「田舎の言葉!」と私がとがめると「昔のことは言わんの!」と母も方言、あれ程プライドの固りで「うちの娘は汚い言葉を使ってはいけない」と言い続けていた両親がすっかり田舎ナイズ
歳月は人を変えるのかと唖然とした。
文化交流で外国の大学で講義の為、英文の原稿を作る。三冊の辞書を引いても出てこない言葉がある。日本語の表現の豊さ故であろう。
新年の宮中行事、歌会始は楽しい。朗々と読み上げられる和歌を目を閉じて聞く。情景が浮かび、入選者の皆さんの人生も忍ばれる。今年の召人 菅野昭正氏の歌
きはやかに 窓に映えたる夕虹は 明日の命の先触れならむ
を聞き、29音でこれだけの想像を呼び起こし、希望を感じさせるものかと日本語の力を今更に思った。
次のお題は「友」たくさんの思い出がよぎる。努力してみよう。