母が自宅で開いていた和裁教室にみえていた女性が「どうにかならないか」
と黒留袖を持ってみえたのは五年前の事だった。
刺繍職人だった父上が娘の為に手ざしされた見事な作品だ。
丁度エストニア国立美術館での着物展に向け、制作中のタイミングだったのでキュレーターにその着物を送った。
コロナ禍の中、地元役場職員の認識不足と誤解釈で紆余曲折があったがエストニア、日本友好条約締結100年記念として開催された着物展の開会式に出席出来た。
3分の2が私の作品、着物の歴史、用途を解説する。
宮参り着、振袖、打掛等、古い寄贈品の中に異彩を放っていたのが「カズオ アンドウ」作 赤松林模様の刺繍留袖だった。
手芸家の多いお国柄、私にその着物の説明を求める人が多かった。
帰国してすぐ図録と共に八十歳を超えた娘さん、息子さんを訪ね、会場での反響を報告、最高の終活だったと喜ばれた。
戦争の為、京都から山深い農村に移り住み、脚光を浴びる機会のなかったすぐれた職人さんの作品が異国で永く称賛されている現状を思うと複雑だ。
先日近くの町の友人から久しぶりの電話「来て、見て、持帰って」と和服の終活
90才を過ぎ、病がちと聞き4日後に伺った。
特別な着物は身内用に、捨て切れない、誰にでもはゆずれない。
まかせる!と受け取った着物の山。持帰り和室に拡げて見るとその人の人生が垣間見える。
華道の教授だけにセンスが良い。小柄なので身丈が短かめでゆずる人を考える。年齢を問わない大島紬は若い頃のお出かけ着だったようで、着込んでありなめらかだ。
手まり模様の付下げは茶会に召されたであろうか、この着物で年配女性の多い茶会に並び座った彼女は初々しく可愛かっただろう等、若かりし頃の彼女を想像する。渋い薄茶の色無地が出て来た。追悼茶会の席にぴったりだ。寸法が長そうなので袖を通してみた所、私にも大丈夫。
私には84~92才の姉が3人、元気だがそれぞれタイプの異る痴呆が進行中。姉の通夜に黒の帯と羽織でこの着物と思ったが、時折心臓がキュン、ウェッとする私が最初にバタンだわ、と一人笑った。