五月二十六日より三日間、自宅で染色展を開いた。

国内での発表は十年ぶり、山の中の不便な場所にもかかわらず多勢の皆さんがかけつけて下さり、三十年ぶり、四十年ぶりの再会もあり、感激の連続だった。

かって元気溌剌だった奥様も杖が必要になられ、ゆっくりまったりお話になる。
高校の陸上部で一年後輩だった女性は美しい娘さんと一緒で幸そのもの。
合併前、町の教育委員を共に務めた女性は九十才とは思えぬ早口の元気さ、九十六才のご主人も頭脳明晰で私もお二人のように老いたいと希う。

共に老い乍らもこの催で旧知の友人達と話がはずみ、親しみと信頼を感じ合える時間は得難く幸なものだった。

半年前郵便物が戻ってきた為、もうあちらに行ってしまわれたかと気落ちしてた元生徒から電話があり、健在を知ったのも嬉しかった。
五十年近く前、初めて津山市で個展を開いた初日から長く応援して下さった奥様からも電話を頂き、有難かった事を思い出し涙を流し乍らの会話の後、お宅を訪ねる約束をした。

沢山の再会は山陽新聞と津山朝日の記事のおかげ、マスコミの応援にも感謝です。

気がかりなのは私の着物の値段が三十倍も高く言いふらされていると知った事。

以前から呉服屋さんがほめ殺しの策を集団で行っているのは知っていたが、私は呉服店に着物を売った事実は無く、友人やその家族の相談を受け直接会って似合うデザインを考え心を込めて作って来た。それ故、普通のサラリーマン家庭だが、四代にわたって作らせて頂いた家もある。集団的に嘘が流布されるのは悲しい。