あちこちに桜の木があり、蕾から開花、桜吹雪までやさしい色彩に心が和む。
山々の若葉の色も日毎に趣を変え、次第に力強い緑になる。
染色用の薪を採りに持山に行った帰りは自然にバイクのスピードを落とし、季節の変化を楽しむ。
静かで取り立てて何も無い平穏な日々の中、戦火の中逃げまどう人々の何の力にもなり得ない現実は悲しい。
五十余年前、私は英語を学ぶ為ロンドンに行った。
ホームステイしたのが、ユダヤ系英国人家庭、夫妻は明るく働き者で居心地の良い家だった。
中東諸国との戦で片足を失った青年がイスラエルからその家に滞在していた。治療費や通院、生活の面倒は全てその家族が引き受けていた。やがて松葉杖で歩けるようになり仕事復帰の為、彼はイスラエルへ帰国した。
私は週三日英語学校に通い、他の日は美術館や博物館に通った。
ロンドンは世界中の一流の芸術作品が沢山あり、それらを見る事が勉強だった。
ホームステイの条件は週三回三階までの十二の部屋の掃除と週五日は夜外出しないで坊やリチャードと過ごす。
それで部屋代、食事代ナシの上に週10ポンドの給金を頂く、だった。授業の無い日の朝、日本の唄を歌い乍らフーバーを動かし、どっしりとした家具類を殻拭き、二時間で了える。
夜はリチャードとテレビを観たり、ゲームをして私の英会話にも役立った。
窓拭きは業者が来ていたが、ある日、ミセスが通いのメイドのエプロンを着てゴム手袋、モップを持って玄関を出て行った。私も出て見ると通りに面した窓ガラスに赤や黄で差別語と出ていけのなぐり書きがいっぱい。
私もタオルで鼻をおおい、ペンキの薄め液で落書き消しを手伝った。
登校しようとしていたリチャードが心配顔で見守っていた。彼も今は60才同じようないやがらせに遇っていないか…
世界中のユダヤ系の人々が母国政府に戦争反対のデモを行っている。
イスラエルでも多くの国民がストップウォーと叫んでいる。政府はどれ程の犠牲を出せば矛を収めるのだろう。狂気の権力者があちらこちらに存在する現状では恐ろしい。